ジュニアスポーツの科学ノート
うちの子のために、論文を読みました
うまくなる仕組み 2026-08-28 ・ 三田村あきら

スポーツの上達にデータは必要か——分析好きの父がたどり着いた「見せない」勇気

白状します。私は、子どものスポーツを「撮って、見返す」ことにかけては、かなり熱心な部類の親です。試合の映像を分析するためのアプリを自分で作り、息子の試合を撮っては、あとで本人と見返しています。数値は取っていません。目的はひとつ、本人のプレーを、第三者の目線で本人に見せることです。

このアプリの出番は、たいてい親子の意見が割れたときに来ます。あるとき息子に、守りに切り替わった瞬間の戻り方と、立つ位置について話しました。返ってきたのは、要するに「自分はできている」でした。口で説明しても平行線です。そこで映像を出し、場面を指差して「ここは、できていた?」と聞きました。息子はしばらく画面を見て、認めました。娘とも同じことがありました。競技は違いますが、姿勢について口で伝えたときは反発し、映像を見せたら納得しました。

親の言葉は「評価」として届き、映像は「事実」として届く。わが家で繰り返し起きていることを言葉にすると、こうなります。

白状は、もうひとつあります。私はバレーボールを大人のチームで続けていて、試合のスタッツ——得点やミスの記録——を取っています。集計すると、誰の得点で勝ち、誰のミスで負けたかが、かなりはっきり出ます。手間をかけて取ったこの数値を、私はチーム全員には見せていません。作戦を一緒に考える数人とだけ共有しています。子どもには映像をすすんで見せる私が、自分のチームでは数値を隠している。矛盾しているように見えるでしょうか。この記事は、その理由の話です。

先に結論を書きます。データは、上達の役に立ちえます。ただし、分かれ目は機材の精度でも数値の細かさでもなく、「誰に、どう見せるか」でした。 なお、この記事でいう「データ」は、映像と数値の両方を指します。わが家の運用は「映像は見せる。比較の数値は、相手を選ぶ」です。順に見ていきます。

この記事の軸になる論文
小学6年生73名を4グループに分け、映像を使う学び方と従来の指導を直接比べた研究(2025年発表・カナダで実施)
Feng D, et al. The impact of video performance technology and peer-to-peer learning on table tennis skill acquisition in elementary students. Frontiers in Sports and Active Living. 2025;7:1653334.[1]

映像は効きます。ただし「言葉より効く」とは言えません

軸にした研究[1]は、こんな実験です。小学6年生73名に、卓球の授業を7回。教え方だけを変えて、4つのグループで比べました。説明のプリントで学ぶ子。タブレットで自分のプレーを撮る子。撮った映像を、決まった手順で仲間と見せ合う子。そして、先生がふつうに教える子。

結果。まず、どのグループも上達しました。いちばん伸びたのは「映像を仲間と見せ合う」と「先生がふつうに教える」の2つ。つまり、同点でした[1]。

だから、言えるのはここまでです。映像は、先生がつきっきりで教えるのと同じくらい効く。「言葉より効く」ではありません。わが家では私の言葉より映像のほうが届きますが、それはわが家の話で、研究が確かめた話ではない。研究者たちの位置づけも慎重です——先生の指導が十分に受けられない場面でこそ、映像には価値がある[1]。

もうひとつ正直に。映像への反応は、子どもによってまったく違います。わが家の2人はたまたま納得する側でしたが、自分の映像を見たくない子もいるはずです。誰にでも効く道具として勧めるつもりはありません。

効くのは「見せる」ではなく「自分で見にいける」こと?

もうひとつ、面白い実験があります[2]。大人の初心者64名に、ダーツを練習してもらいました。全員が、お手本の映像と自分の映像を見ながら練習できます。違いは2つだけです。映像を見るタイミングを、自分で決められるか——それとも、決められたときに見せられるか。スロー再生や巻き戻しを、自分の手で操作できるか——それとも、流れるのを見ているだけか。この2つの組み合わせで、4グループに分かれます。

いちばん上手くなり、数日たっても効果が残っていたのは、タイミングも操作も自分で握ったグループでした。面白いのはここからです。同じスロー再生を「見られた」のに、操作を他人に握られたグループは、効果が弱かったのです[2]。

つまり、効き目の芯は「映像を見せてもらうこと」ではなく、「自分で見にいけること」なのかもしれません。親がリモコンを握って解説する上映会と、本人が見たいところで止められる状態。同じ「映像を見せる」でも、別物です。

実は、わが家にも「自分で見にいった」例があります。息子から「ポジショニングを学びたいから撮ってほしい」と言われたことがあるのです。そこで今度は、私が見せるためのものではなく、本人が自分で見て学べるアプリを作りました。娘から「確認したいから撮ってほしい」と頼まれることもあります。どちらも、言い出したのは子どもの側です。

わが家には、映像のマイルールがもうひとつあります。見ながら否定的なことは言わない。これは研究の裏づけがあって作ったルールではなく、私の方針です(直接の裏づけになる研究は、今回は見つけられませんでした)。ただ、主導権を本人に渡すほど効くという上の知見と、向いている方向は同じだと思っています。

トップでは常識、草の根ではほぼゼロ

では、わざわざ撮る価値があるのか。私は以前、子どもたちのコーチをしていました。当時、映像分析に興味を持つ指導者は周りにおらず、私は個人で映像分析サービスを契約していました。いまも、育成の現場に根づいている例にはほとんど出会いません。一方、プロの世界では当たり前の道具です。日本サッカー協会の技術委員会が2026年にまとめた資料『Japan's Way』も、「データを正しく理解し、使いこなす力」を、育成に関わる人に求められる力のひとつとして挙げています[3]。

選手が自分で分析した例もあります。三笘薫選手を大学で4年間指導した監督は、取材でこう語っています。三笘選手は卒業論文「サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究」で、頭に小型カメラを着けて自分のドリブルを撮って解析し、熟練した選手ほど相手との間合いやスペースの把握に重きを置いていることが見えてきた、と[4]。トップと草の根のあいだには、それだけの開きがあります。

なぜ、数値だけは相手を選ぶのか

冒頭の話に戻ります。映像はすすんで見せる私が、なぜバレーの数値は隠すのか。理由は単純で、はっきり出すぎるからです。負けの責任が数字で確定してしまうと、チームの和は、たぶん保ちません。

この感覚に近いことを言う研究があります。ご褒美の記事(公開済みです)で軸にした研究[5]で、中身は「やる気とご褒美」の実験を128件集めて整理したものです。たとえば、絵を描くのが好きな子に「描いたら賞をあげる」と約束して描かせ、あとで自分から描かなくなるかを見る——そういう類の実験たちです。見えてきた傾向はシンプルでした。成績と引き換えのご褒美は、あとで「自分から」やる気持ちを下げがち。「ここが良かった」と言葉で返すのは、上げる方向。

スタッツを見せて比べるのは、どちらに近いでしょうか。数字で成績を突きつける——前者の側です。ただし、但し書きも同じ研究陣から出ています。言葉かけの効果は、子どもでははっきり確認できませんでした。しかも「その調子で続けるべき」のような圧のかかる褒め方は、逆に働きました[6]。「映像を見せて褒めればいい」という単純な話にもならないのです。

取ることと見せることを、私は別の決断として扱うようになりました。データは、誰に見せるかまでが設計です。

家の外の数字——選ばれなかった日のために

最後にひとつだけ、家の外の数字の話をさせてください。子どもを数値で選ぶ、という使い方です。

ドイツのサッカー協会が、育成プログラムにいる12〜15歳の男の子・約1万4千人を追いかけた研究があります[7]。コーチの見立て(この子は有望か)と、体力や技術のテストの数値を記録し、3年後に誰がトップレベルのユースチームへ到達したかを確かめました。到達したのは、100人のうち9人。そして、見立てと数値を両方あわせても、3年後の結果のうち説明できたのは2割ほどでした[7](これは統計上の「説明できた割合」で、的中率ではありません)。残りの8割前後は、そのとき測ったどれでもない何かで決まっています。

だから、もしお子さんが数値で選ばれない日が来ても、その数字を将来の宣告とは読まないでほしいのです。数字にそこまでの力がないことを、1万4千人分のデータが示しています(選ばれる・選ばれないの偏りについては、早生まれの記事でも書きました)。

この記事で言えないこと

映像の研究[1]は体育の授業の卓球で、競技の練習でも、親が家庭で見せる場面でもありません。主導権の研究[2]は大人の初心者のダーツで、子どもで同じかは確認されていません。「否定的なことは言わない」に直接の裏づけは見つけられていません。そして、データ活用を勧める側の『Japan's Way』自身が、こう書き出しています——「サッカーはサイエンスでは説明できない部分がたくさんありますが」[3]。わが家の話は、わが家の話です。

家庭でできること

  1. 撮って、再生の主導権ごと子どもに渡す。 機材はスマホで十分です。親がリモコンを握る上映会にせず、いつ見るか・どこで止めるかを本人が決められる形にします。効き目の芯はそこにあるかもしれない、というのが研究の示唆でした[2]。見たがらなければ、そこまでにします
  2. 見たあとの言葉は、評価ではなく場面の確認に。 「うまいね」「下手だね」ではなく、「ここは、できていた?」。答えは画面の中にあるので、親子の言い合いになりにくい——これは、わが家で確かめた数少ないことのひとつです
  3. 順位や責任が決まる形の数値は、子どもと共有しない。 誰が上か、誰のせいかが確定する数字は、家庭では出さない。数値そのものが悪いのではなく、比べる形で見せることが、「自分から」やる気持ちの側に触ります[5]

息子の映像は、今週も撮っています。どの場面を一緒に見るかは、まだ決めていません。本人が見たいと言うまで、素材をためておくつもりです。

## 参考文献
  1. Feng D, Cossich VRA, Abdelrasoul E, Campelo AM, Katz L. The impact of video performance technology and peer-to-peer learning on table tennis skill acquisition in elementary students. Frontiers in Sports and Active Living. 2025;7:1653334. PubMed
  2. Khacharem A. Not just when, but how: An exploratory dual-control approach to video feedback in motor learning. Human Movement Science. 2026;109:103506. PubMed
  3. 公益財団法人日本サッカー協会 技術委員会. Japan's Way. 第2版. 2026年1月. 誌面p.44.
  4. 橋本啓. FOOTBALL ZONE. 2023年3月4日(筑波大学蹴球部・小井土正亮監督へのインタビュー). 記事
  5. Deci EL, Koestner R, Ryan RM. A meta-analytic review of experiments examining the effects of extrinsic rewards on intrinsic motivation. Psychological Bulletin. 1999;125(6):627-668. PubMed
  6. Deci EL, Koestner R, Ryan RM. Extrinsic rewards and intrinsic motivation in education: reconsidered once again. Review of Educational Research. 2001;71(1):1-27. DOI
  7. Höner O, Murr D, Larkin P, Schreiner R, Leyhr D. Nationwide subjective and objective assessments of potential talent predictors in elite youth soccer: an investigation of prognostic validity in a prospective study. Frontiers in Sports and Active Living. 2021;3:638227. PubMed

本記事は論文に基づく一般的な情報提供であり、個別の指導に代わるものではありません。映像やデータの活用は、お子さんの気持ちを最優先に、無理のない範囲でお試しください。

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